こんにちは。皆さんいかがお過ごしですか?
北川は先日自分の実家と主人の実家に帰省しました。
その分、回答が若干遅くなってしまった方が数人いましてご迷惑おかけいたしました。北川の両親は仲がいい夫婦です。
父は真面目。でも面白い。でも侍のような人です。
自慢のようですが、頭もよく生徒会長もやりPTA会長もやり運動神経抜群で、まじめに会社に勤めて私と姉を夫婦で育ててくれました。
くそまじめで””面白みのない男””と思う人もいるかと思いますが、父の魅力を分からない人は””父があんたに心を開いていないから知らないだけだよ””と思っているので、そこはまあいい。
本当に温かい家族でした。
子供のころは家族というものをこれほどありがたい存在と思ったことないくらい、家族がみんなで笑ってお茶している空間は当たり前のような家庭でした。(なぜか家族でお茶の時間が夕飯後ありました)
母もニコニコしていて温かい人です。
近所のみんなからも慕われ、同級生からも人気者で。
なんていうのかな。
お嬢様系なんだけど(笑)
子どもの私から見たらいつも背中にひまわりやバラを背負っているような人??
そんな人です。
いるだけでその場が明るくなるような人です。
それでも若いころに母親を病気で亡くし苦労はたくさんしてきた人です。
この夫婦はなんでこんなに仲いいの?
仲がいいのが当たり前だったのでそんなこと気にしたこともなかったのですが、主人と結婚する前に、初めて両親を会わせた時に主人がこういいました。
『こんなに穏やかでみんなが笑っている家庭を見たことない、っていうかそんな家庭なんかないと思っていた。そういう家庭はテレビドラマでしか見たことない』
そういったのを思い出し、しばらく両親を観察してみることにしました。(今更ですが。。(笑))
まず母の行動。
子供のころから当たり前に見ていましたが、これ実際に真似してみろ。と言われたらたぶんできません。
父がどこか出かける(定年退職しているので趣味などの会合等)と言ったら、父よりも先回りして、父の支度にかかる。
久しぶりに会った孫との時間を割いてでも、父の支度を始める。
車の鍵、財布、ハンカチ、着るものなど見てあげて、駐車場の入り口を開ける。
そういえば昔からそうでした。
母も私が子供の時フルタイムで働いていました。
自分だって疲れているのに
『〇時〇分の電車(田舎なんで本数少ないので細かい)でお父さんが仕事から帰ってくるから。それまでに洗濯物をたたんでしまって、夕飯の支度して少し片づけてお出迎えしなきゃ!』って毎日毎日焦って夕方支度していました。
お父さんが帰ってくるだけでそんなにバタバタしなくても。。と思う私は
そんな母に手伝いもせず、鼻をほじりながら『奥さんって大変ね~』くらいに思っていました。
まあそんな母を見ていたのか、子供ながらに『お父さんは偉い人なんだ。』と
父を威厳のあるものに変えていきました。
私の実家は食卓の座る位置も決まっていました。父を上座に座らせテレビの見やすい位置に。
母はすぐに台所に行ける距離の位置。
姉は父の隣。
そして末の私はテレビに背を向ける一番下座(笑)
『テレビが見にくいな~もう!!』くらいに思っていただけで何とも思わなかったですが、実は序列がもう始まっていたというね(笑)
そしてそんな母だからなのかまじめだからなのかわかりませんが、父の母に対する思いやりが半端ない(笑)(笑)
孫がぐずぐずしだしたら、『お母さん(私の母、自分の妻)が大変だから!ね!(やめさせろ)』
マジ。。。。パナイ。。。(マジ半端ない)
まあこれは昭和の人間なのでここまでしなくてもいいのかもしれませんが
こういう思いやり、すごーく大事だったんだな。。と改めて思いました。
お互いにね。
もちろんそれを感謝できない人いますし、そんな妻に胡坐をかく男もいます。
逆バージョンもあり。
それぞれの資質にかかってくると思いますので一概にこれがいいというわけではないと思いますが、私はこんないい家庭に育っておきながら何を見て大きくなってきたんだろう。。と
なぜ、初めからこんな風にできなかったのかな。。
と少し落胆して帰ってきました。。
まあ主人はたくさん”シデカシタ”ので、主人と父が腹を割って話をすることはまだまだ時間がかかりそうですが。
娘のため孫のためと我慢してくれたんでしょう。
父『〇〇(私)が決めた事、〇〇が幸せならそれでいい。自分たち(父と母)はもうあいつ(主人)にやさしい言葉も何もしたくない。でも〇〇の幸せの邪魔はしない。そんなスタンスでいい。』と。――――――――――――――
主人の実家は相変わらず義理母が主人だけ別室に呼び出し、
義理父の悪口(愚痴)を言っていたようですが、まあいつものことでついでに私の悪口も言っていたんでしょうが
義理両親と再構築するつもりもないんで、放っておきました(笑)
主人の実家は何度行っても好きになれない(笑)
私の実家とは正反対の実家です。
こんな家庭に生まれたら曲がるよな~って感じです。
軽くディスってみました(^^)
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一方私の父は時々なれないメールをくれます。
相変わらず硬い文章です。(笑)
『明るく元気になってよかったです。(私が元気になったこと)お母さんとほっとしているところです。
これからも一層子供たちのために頑張ってください。
決して子供に恥じない生き方をしてください。
また遊びに来るように。(”来てください”じゃなくて”来るように”(笑))
〇〇(私)の人生がより良いものとなるようにいつも祈っています。』
みたいなメールをたまーにくれます。
うん!!相変わらず堅いね(^^♪
でもその中にはたくさんの男なりの愛情が隠れた文章で父と母のもとに生まれたことに心から感謝する、今年の夏でした。
ちなみに私は父の言う事ばかり聞く母を『自分の意見はないの?』と正直好きではなかったときがありました。でもそうじゃなかった。
自分の軸を持ち続けていたのは実は母だったんです。
そうやって父を持ち上げて、威厳を作り、父のテンションを上げる。
母もそうやって育ってきたんです。母の生まれた家庭と結婚してからの家庭似ているようです。
父と祖父が似ているのでね。
祖父はもっと堅いが、愛情あふれたジジイでした。今はもういません。
母は父がいなくてもきっと一人でも生きていける人です。
時間があれば自分の好きなこと見つけられるし。
口癖は”上を見たらきりがないよ。今のことをありがたいと思わないとね”
そういう人が愛されるんだな、、って思いました。
長々うちの”ジジババネタ”を聞いてくださりありがとうございました(^^♪
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